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2014年4月

2014/04/30

海Ⅱ~「困った綾とり」より

連日報道される、韓国の高校生達が犠牲になったニュース。
残された携帯電話の映像のあまりの残酷さに、思わず眼を覆ってしまう。
時が戻るなら、あの時間あの場所で、
「もうそこにとどまっていなくていい!早く逃げて!!」
そう叫びたいと、ニュースに触れた多くの人が抱いただろう。
信頼して信じて待っていた。
そんな人間を、己の保身や欲のために裏切る行為ほど残酷なものはないと、
改めて思い知らされる。
でも…
お前はどうなのだと、どこからか聞こえてくるような気がする。

こんな出来事に遭遇するたびに、
ああもう、眼も耳も心も閉ざして、思考停止になろうとする自分がいる。

「困った綾とり」に登場する家族は、現実から逃げて思考停止になった人々の話だ。
それでも心の奥底に疼く「何か」に突き動かされるように、
必死で再生を試みるのだ。

この舞台は、そこから幕が開く。
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2014/04/20

海Ⅰ~「困った綾とり」より

海の話は沢山あるさ…と言ってすぐにノロウィルスでダウンした。
あーつらかった。

でも想い出したことがあった。
それは奄美大島に眠る父のお墓。
海に向かって立っているんだ。

私の生まれた奄美大島の北端にある「西古見」という部落。
今ではもう、いわゆる「限界集落」だ。
だからなのか、未だに手つかずの美しい海がある。
その部落のはずれに、父の墓は立っている。
あまりに美しい場所だから、余計に悲しくなるんだ。

私の母親は、20年も前に死んだ父親が、その海を一人歩く姿を夢に見る。
それは決まって、月夜の浜辺だとか。
母は必死で父を呼ぶ。
でも父は少し振り向いただけで、どんどん遠ざかっていく。
あんな憎んでいた父を、母は呼び続ける。

「困った綾とり」に登場する母親は、
まさに、こんな母親なのです。

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photo:Morio Kimura

2014/04/07

困った綾とり

物事に感動したり、寄り添ったりするってステキだなと思う。
私が遠い昔に役者を止めたとき、いろんな理由はあったけど、一番の理由は、演劇や映画やアートを見て批評家になってしまったことだった。

高みを目指すあまりに、ピュアだったはずの心は、いつしか重箱の隅をつつくような細部に眼をとめ、粗を捜し、他者を非難しながら自分の足もとを確かめる。
そんな見方しかできなくなった自分が、酷くつまらなくなったんだ。

6月に公演する「困った綾とり」は、まだまだ演劇が訳わかんなくも面白くてやっていた頃に出会った作品だ。
当時20代前半で、この作品の世界は、ほんとに謎だった。
無我夢中で、今回と同じ「母親役」を演じた。
クレイジーで毒々しい母親…ありえないと思ったね。

あれから随分と時が経ち、私は家庭を持ち二人の息子を育てた。
いつも、あの「母親」が頭をよぎった。
いま思うに、あの母親は、もしかしたら私の反面教師だったのかもしれない。
愚かにも必死にもがく、愛すべき反面教師。

私は今回、どんな母親を演じることができるんだろう。自分でも興味津々。

さて、この作品では「海」が重要な役割を持つ。
次からは、海にまつわる話をしよう。

いっぱいあるさ。
なんたって海に抱かれた奄美大島で育ったんだから。

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