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2010/03/16

狭き門より入れ 箕川功貴発No.4

 このタイトルを見ると、誰もがアンドレ・ジッドの作品を思い出す。語り手ジェロームが、2歳上の従姉アリサに恋をし、アリサもそれに応えようとするものの、この世の幸福を放棄し、神のことばに従おうとする。その神のことばとは、次のイエス・キリストのことばであり、これは聖書に馴染みのない日本人でも、一度くらいは耳にしているものだ。

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、
そこから入って行く者が多いのです。(マタイ7:13)

 箕川功貴のドラマセラピーの最近の記事に、「滅びに至る門」というタイトルで、女優を目指す二人のミセスの姿について書いた。そして、彼らは、魅力的で誰もが入って行こうとする広くて大きい門を選ばず、熟年を迎えようとしている今、敢えて狭き門から入ろうとしている。これは、若気の至りというわけにもいかず、もしそんな軍団がプロとしてステージに立ったら・・・

大いに賞賛すべき心意気だ。ジッドは「狭き門」の中で、神のことばを選んだアリサの自己犠牲を批判したかたちで書いているが、ここに神中心か人間中心の立場を取るかの大きな違いが出ていくる。ジッドは、少なくともニーチェの影響を受けていたのかもしれない。ニーチェは、「ツァラトゥストラかく語りき」の中で、「神は死んだ」と言わしめ、ジッドもまた、神に隷属してしまう人間の開放を訴えようとしている。

 しかし、絶対的な真理を否定してしまう段階で、ニーチェもジッドも、「狭き門」そのものになってしまったことは否めない。神の存在を否定することがその道を狭くするというこの皮肉は、これから大きなことに挑戦し、それを成功させようとするものにとっては、大きな教訓となる。すなわち、神の存在に対する是非が、目的を成就するか否かの大きな分かれ目となるのだ。

 今、セラ・ジャパンに二つのいのちが躍動しようとしている。その狭き門がどれほどに狭いかといえば、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」ほどなのである。
 この「狭き門」、次なる課題作とするのでご一読あれ。そして、セラ・ジャパンより入れ。

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